10月に東京であったハーフマラソン大会。唐澤剣也選手は1時間8分30秒世界新記録をたたき出し、優勝を飾りました。
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唐澤さんは「競技場をスタートして沿道に出た瞬間、たくさんの拍手が聞こえました。後半はかなり疲れましたが、『頑張れー』という声に押されて走り切ることができました。今までの人生で、いちばん大きな声援をもらいました」と笑顔を見せました。
ハーフマラソンで世界新をたたき出した唐澤剣也選手
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世界新、出せる自信あった
世界新という偉業について、唐澤さんは「しっかり練習できていたので、自信を持ってスタート地点に立っていました。このくらいのタイムは出ると思っていました」と言います。
全盲のランナーはガイドランナーと、テザーと呼ばれる伴走ロープでつないで一緒に走ります。ガイドランナーは、周囲の状況やタイムなどを常にランナーに伝え、フォームも合わせながら走るという、高度な技術が必要です。全盲のランナーにとって、ガイドランナーを確保し、毎日継続して練習することがまず、課題となります。
ガイドランナーの小林光二コーチと、テザーでつないで走る唐澤さん(右端)
しかも、唐澤さんの場合、どんどん力をつけてスピードが速くなっています。このため、ガイドランナーを務められる人が限られてくるようになりました。
最高の環境が、世界新を実現
「その点、4月からSUBARU陸上競技部に加入できたことは本当に大きかった。小林光二コーチ、阿久津圭司コーチ、国川恭朗コーチという、力のあるランナーに伴走をお願いできることになりました。私にとって地元である群馬で、やりたい時に、やりたい練習ができる最高の環境を整えてもらったことは、世界新記録を出せた大きな理由です」と唐澤さんは話します。小林コーチはこの試合でもガイドランナーを務めましたが「ピッチや声かけのタイミングが本当にぴったりで、力を出し切ることができました」と言います。
太田市のグラウンドで、SUBARUのコーチ陣と一緒に練習する唐澤選手(右から唐澤選手、国川恭朗コーチ、小林光二コーチ、阿久津圭司コーチ)
夢を思い出させた、和田選手の走り
競技を始めるきっかけは2016年9月、群馬県内の自宅でネット中継でリオ・パラリンピックを観戦していた唐澤さんの耳に、大歓声が飛び込んできたことです。そこでは、自分と同じ全盲のランナー、和田伸也選手が5000mのレースで出場していました。「大声援のなかで走っている和田さんは輝いていて、なんてカッコいいんだろう、と思いました」。この大歓声が引き金になり、唐澤選手はスポーツ選手を夢見ていたころのことを思い出しました。
小林コーチ(左端)らとロードで練習する唐澤選手(左から2人目)
先天性の病気で生まれつき弱視だったものの、拡大鏡を使えば文字も読め、渋川市の小学校に通っていたころは生活に不自由はなかったと言います。マラソン大会で優勝したこともあるほどスポーツが得意で、将来の夢はスポーツ選手でした。しかし、小学校4年生で視力を失うと「スポーツ選手にはなれなくなったが、鍼灸師としてスポーツに関われるよう頑張ろう」と思うようになったそうです。 鍼灸師の試験に合格し、前橋市の点字図書館で働いていた唐澤さんに、和田選手の走りは子どものころの夢を思い出させました。その熱意で多くのボランティアの共感を得てガイドランナーになってもらい、練習を積んで力をつけ、東京パラリンピックに出場。5000mで銀メダルを獲得しました。
次はパリで金メダル
唐澤さんの次の目標は、2024年パリ・パラリンピックに出場し、1500m、5000mで金メダルを取ることです。「和田選手が私に夢を思い出させてくれたように、私の走りで誰かを勇気づけられたら。パラスポーツへの関心も高めたい」と唐澤さん。群馬から世界の頂点をめざす、さらなる戦いに挑みます!