本来ブランコは、揺れても大丈夫なように、そもそも地面に固定されていて、かつ重いわけです。それをどのように魔改造したら25メートル走らせることができるのか?と、魔改造開始後の数日間は、チーム全員でとにかく案出しを行いました。そこで、「とにかくやってみよう」「形にしよう」となったのですが、モノが大きいため、試作機を作るだけでも時間がかかってしまいます。そのため、「小さいモデルで原理検証してみたらどうだろうか」というアイデアが出ました。すぐに図面を作成し、魔改造開始3日目には4分の1モデルが何体も出来上がりました。魔改造の期間は1カ月半しかないため、スピード感をもってスタートしました。
私は勝ちにこだわりたかったため、生贄発表日に「3秒で25メートルを走る」という目標を掲げました。人間の速さに負けたくない、電気自動車レベルの速さで走りたいという考えからです。ただ、それを実現できそうな案がなかなか出てこなくて、時間が過ぎていく一方でした。その頃は、方向性を巡って真剣な話し合いが続きましたね。
ターニングポイントになったのは、「これだ!」と思っていた機構での失敗でした。成功すると踏んで1分の1モデルを作り、モーターを搭載して試すと、パワーが足りなくて全然動かなかったのです。やはり、ブランコの重さがネックでした。
その状況を打破したのが、かつて富士重工業(現 SUBARU)が製造していた産業機械用のロビンエンジンです。メンバーの1人が、中古のロビンエンジンを入手してきてくれていましたが、制御の難しさ等の理由でエンジンを搭載することは難しいと感じていたため、1週間くらい放置していました。そのエンジンに、白羽の矢を立てたのです。しかし、実際にはエンジンを積んでも全然うまくいかず、本体が折れたり、ねじれたり、チェーンが切れたりして、試行錯誤は続きました。
実は、番組スタッフが中間視察に来た際に、「絶対にエンジンを乗せて3秒で完走します!」と宣言したものの、実際には、その時点では1度も走れていない状況でした。それでも、目標達成には強い想いを持ち続けていたことから、宣言しました。しかし、夜会まであと6日と迫った月曜日になっても走れていません。あの月曜日の夜が、一番きつかったです。メンバーの前では笑いながらも、絶望的な気持ちでした。それでも、チーム全員が「最後まで絶対に諦めない」という強い気持ちを、持ち続けていました。
その翌日、メンバーたちのアイデアによって、2度の技術的な発想の転換がもたらされました。最初のアイデアを実践することで、ついにエンジンを載せたブランコを25メートル走らせることに成功し、2つ目のアイデアによって、さらにタイムを縮めることができました。特にブランコが初めて走った瞬間は、思わず泣きましたね。
技術的な発想の転換の詳細は、ブランコ開発秘話へ
そこからは怒涛の日々で、納品までの残された2日半、全員で知恵を出し合い、1日に何度も構造を細かく変えて、ギリギリまで速さにもこだわり、「夜会」本番へと臨みました。