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2002年5月17日

富士重工業 バス車体および鉄道車両の新規生産を2002年度限りで終了

 

 富士重工業(竹中 恭二社長)は、これまで採算の厳しかったバス車体の製造および鉄道車両の製造事業を見直し、2002年度限りで新規生産を終了する。

 今回、新規生産を終了する両事業は、富士重工業の前身である中島飛行機の民需転換から続いてきたものであり、同社が創業からの事業を大幅に見なおすのは、ラビットの名称で知られたスクーター事業から1968年に撤退して以来のことである。

 富士重工業のバス車体生産を担っていた伊勢崎製作所は、今後、バス事業については、バス車体のリニューアル事業、補用品供給、および既納車のアフターサービスに特化し、同じ事業部門であるハウス事業や昨年から取り組んでいる自動車の補用品生産の拡大を図るとともに、カスタマイズ事業など自動車事業でのさらなる活用を検討していく。
 なお、同社製のバス車体におけるシャシメーカーの構成は、現在、日産ディーゼルが約8割、いすゞが約2割となっている。日産ディーゼルからの受託業務は、今後、西日本車体工業に集約されることが、既に日産ディーゼルより発表されている。いすゞも、富士重工業の決定に合意しており、今後のいすゞ業務分については、いすゞバス製造に集約される。

 一方、富士重工業の鉄道事業を担ってきた宇都宮車両工場では、今年6月に社内カンパニーに移行する環境事業部門に特化し、約130名の余剰人員の吸収を図るが、人員の一部については、同社の他事業部門への転籍も含め検討することとなる。
 なお、同社製の鉄道車両は、JR各社および第3セクターの鉄道会社に納入されており、同社は、国内気動車メーカー大手として知られていた。

 富士重工業のバス車体製造事業は、1946年に始まり、1949年の中島時代に培った航空機のモノコック技術を応用した国産初のフレームレス・リヤエンジンバス「ふじ号」、1956年の民生デイゼル工業(現日産ディーゼル工業)との共同開発による国産初のエアサスペンションバス、1983年のボルボ社とのジョイントによる日本初の連節バスなど、独自の発想や技術を生かして行われてきた。 年間の生産台数としては、1980年代にピークを迎えたが、以後の景気後退により需要は低迷、昨年には生産ラインを大幅に改造し少量でも効率的に生産できる体制を整え、収益改善も進んでいた。
 しかしながら、今年1月、日産ディーゼル工業のバス車体製造集約計画の発表があり、富士重工業としても今後大きな影響を受けることが間逃れないことから、今年度限りで新規生産を終了することを決めたものである。
 なお、これまでの総生産台数は、2002年3月末までに80,938台に上る。

 富士重工業の鉄道車両製造事業は、戦災車の復旧や修繕に端を発し、1955年国鉄(現JR各社)気動車メーカーの指定を受け、キハ17を製造したことに始まる。気動車については、その後特急用車両を多く手掛け、1989年には世界初の振子式特急気動車を実用化、最近では昨年7月にはJR北海道に振子式特急列車キハ283系20両を納めている。また、1969年には国鉄客車メーカーの指定を受け、ブルートレインと呼ばれる寝台特急の客車製造も担当し、現在上野―札幌間を走る特急「カシオペア」の客車も分担生産している。他にも、保線作業用の軌道モーターカーや電気作業車、貨車、コンテナ車、第3セクターに多く採用されたLE-Carなど、様々な分野の鉄道車両を製造してきた。
 しかしながら、最近では、鉄道会社の投資抑制などから需要は低迷するとともに、発注が不定期化していることで事業としては成立しづらい環境となり、今回の決断にいたったものである。
 なお、これまでの総生産台数は、2002年3月末までに10,299両に上る。

 富士重工業は、バス車体製造、鉄道車両製造という不採算部門を見直し、自動車を中心とした成長事業を中心に投資をシフトすることで、将来の事業構造の強化を図るとともに、収益基盤をより強固なものとし、新たなビジネスフィールドへ挑戦していく。


 

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